私たちの信仰告白の抜粋

私たちの信仰告白の抜粋

私たちは聖書に基づくルーテル教会の信仰告白を維持し、
イエス・キリストによる救いを全世界に宣べ伝えるために集まります。

項目 信仰告白と土台となる聖書の箇所
聖書正典 旧約39書と新約27書だけを、出所が神である聖書正典と信じます。
ルカ24:44;ヨハネ17:17/ヨハネ8:31,32;17:20;エペソ2:20
聖書の本当の著者と一言一句 聖書は約36人の著者によって書かれましたが、その人々は、書く時期や内容の一言一句を神から指示されたので、本当の著者は神であり、聖書はすべて神のことばであり、真理だと信じます。ヨハネ17:17
聖書の解釈 自分勝手に解釈すべきではなく、聖書を辞書のように用い、聖書のことばによって聖書のことばを解釈すべきだと信じます。2ペテロ1:20,21;1コリント2:13
律法と福音の区別 聖書の二つの主要なメッセージ、神の命令や禁止や罪に対する神の罰を宣告する律法と、神の愛や恵みや祝福などを伝える福音は、正しく区別して用いるべきだと信じます。マルコ7:6-9;マタイ9:1,2
神は三位一体 神は本質においては一つですが、父なる神、子なる神(イエス)、聖霊なる神の異なる三つの神格を持っていて、これら三つの神格は栄光、栄誉、権威、尊厳などにおいてまったく同等で、全能、全知、永遠、遍在、公正公平、きよく、恵み深く、慈しみ深いことを信じます。父と子と聖霊は天地万物の造り主ですが、父なる神は人間を悪魔と罪と死の束縛から救う計画を立て、子なる神はその計画に従って人間の罪を身代わりに償って死に、聖霊は福音を通して人間をイエスを信じる信仰に導き、罪の赦しと永遠の命を受けさせます。三位一体ということはば2世紀の信者が使い始めたものですが、三位一体の真理は旧約にも新約にも出ています。イザヤ42:1-4;マタイ12:15-21;マタイ3:3-16;28:19
イエス・キリストの二つの性質 イエスは父なる神や聖霊なる神と共に永遠の昔から存在する神ですが、すべての人の罪を身代わりに償うために、マリヤの胎に宿って人間のからだを取った瞬間から神と人の二つの性質を持ち、今でも持ち続け、この世の終わりにはその二つの性質を持ったまま戻って来ます。ヨハネ1:1,14;ルカ24:36-43;使徒1:11
イエス・キリストの二つの状態 イエスはマリヤの胎に宿った時から、十字架の上で死んで墓に葬られるまで、救い主の務めを成し遂げるために、神としての栄光や力を極力用いない謙遜の状態でいましたが、三日目に墓の中でよみがえった時から、神としての栄光や力を制限なく用いる高揚の状態になったと信じます。福音書にはイエスが自分を父なる神よりも低く置いている箇所と同等に置いている箇所があります。それは矛盾ではなく、イエスが二つの状態を使い分けたためです。マタイ27:46;ヨハネ10:30
イエスの三つの職務 イエスは自分や信者によって神のことばを人間に教える預言者の務め(ヨハネ1:18;エペソ4:11-13)、すべての人の罪を償ういけにえとして自分のきよく尊い命を神に捧げ、赦しをとりなす祭司の務め(ヘブル7:23-27;10:1-10;1ヨハネ2:1,2)、悪魔と罪と死から人間を守る王の務め(ルカ23:33-43;ヨハネ19:29,30;ヘブル2:14,15)を果たし、今も果たし続けていると信じます。旧約時代の預言者や祭司や王は不完全ですが、イエスが将来に成し遂げる務めを当時の人々に示す模型の役割を果たしました。
イエスの償いについて イエスは母マリヤの本質の汚れ(原罪)を受け継いでいなかったし、心とことばと行ないによる実罪も犯さなかったので、すべての人の原罪と実罪を完全に償う代価となる価値がありました。神はそのことを証明するために、三日目にイエスをよみがえらせました。ですから、私たちは神に罪を赦していただくためにいけにえを捧げたり、修行や善行をする必要がありません。イエスを信じる人は誰でも、神からの恵みの贈り物として、罪の赦しと永遠の命をいただくことができます(ヘブル10:14,17,18;ローマ3:23,24;ガラテヤ2:16;エペソ2:8,9)。
聖なるキリスト教会の土台について イエスは聖なるキリスト教会の唯一で、揺るぐことのない、交換不可能な土台であると信じます(マタイ16:16-18;1コリント3:10,11)。聖なるキリスト教会とは建物ではなく、すべての時代の本当の信者の集まりです。「イエスがすべての人の罪を完全に償ったので、イエスを信じる人は誰でも、条件なしに神の御前で罪が赦され、永遠の命が与えられる。」という福音を信じる人のいる所には、建物はなくても聖なるキリスト教会は存在します。
洗礼について 洗礼は神が定めた聖なる礼典で、神のことばといっしょに水が用いられる時、人間の罪を洗いきよめ、神の子供に生まれ変わらせると信じます(マタイ28:19;ヨハネ3:5)。
洗礼の方法について イエスは水の使い方や量を定めなかったので、体全体を水に沈める浸礼でも、頭に水を数滴振りかける滴礼でも、恵みや効果は変わらないと信じます。また、クリスチャンなら誰でも洗礼を授けることができますが、混乱を防ぐために、通常は会衆を代表して牧師が授けます(マタイ28:19;1コリント14:40)。
洗礼を受ける人について すべての時代の信者に大使命を与えた時(マタイ28:19)、イエスは洗礼を受ける人に年齢制限を設けなかったので、信者である保護者が連れて来た場合は、乳児や幼児にも洗礼を授けるべきだと信じます。なぜなら、乳児や幼児も親から受け継いだ罪を持っているので、洗いきよめられて、神の子供に生まれ変わる必要があるからです(ヨハネ3:5,6)。そして、イエスは乳児や幼児に祝福を与えたいと望んでいますが、イエスが与えることのできる最高の祝福は罪の赦しと永遠の命だからです。ですから私たちは、乳児や幼児をイエスのところに連れて来るように保護者を励まします(マルコ10:13-16;使徒2:38,39)。
聖餐式について 聖餐式は神が定めた聖なる礼典であり、聖餐に与る人はパンとぶどう酒を通常の飲食方法で、イエスのからだをパンといっしょに、イエスの血をぶどう酒といっしょに、香りや味がしなくても、奇跡的な飲食方法で受けると信じます。イエスのからだと血は私たちの罪が赦されたことの保証であり、私たちの弱い信仰を強めます(マタイ26:26-28;ルカ22:19,20)。ですから、罪を悔い改めない人やイエスのからだと血の実存を信じないで聖餐を受ける人は自分の身にさばきを招きます(1コリント11:28,29)。
この世の終わり、死後の世界、イエスの再臨、最後のさばきについて 聖書の預言通り、この世は燃え尽きて滅びると信じます。神しかその日その時を知らないので、偽預言に注意しなければいけませんが、いつでも神のさばきの席に立てる備えをしていなければいけません。その備えとは、イエスによる罪の赦しを受けることです。その日、イエスは生きている人と死んだ人すべてを集めて、さばきを行ないます。罪を赦されていない人は地獄での永遠の苦しみに落とされますが、罪を赦された人は天国での永遠の祝福に迎え入れられます(マタイ25:31-46;ルカ16:19-31)。

» 告白福音ルーテル連盟(Confessional Evangelical Lutheran Conference)
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